5日目
Drvarにある「チトーがドイツ軍の暗殺から逃れるために隠れていた洞窟」、いわゆる“チトーの洞窟”に到着。
現在は観光地として公開されている。
一見 階段に見えるが、全然階段ではない岩を手すりにしがみつきながら登っていくと、
洞窟指令本部に到着。(もちろん補修済みです)
更に奥に進むと、
寝泊りしていたという穴がある。
奥はフラッシュ無しでは真っ暗。
途中で見た雲海。
この日は滝が見所のJajce(ヤイツェ)に宿泊。 イスラム教徒の町だ。
部屋には大きなチトーのブロマイド(?)が。
6日目
ラシュワ渓谷を通り、Jablanicaにあるネレトヴァ川へ。
ここはチトー率いるパルチザンが、ドイツ軍とウスタシャに挟まれた際、自ら橋を爆破してドイツ軍を油断させ(その後仮橋を掛けて)逃げ切るという采配を取った場所である。
映画「ネレトバの戦い」が有名。 橋は今でも残されている。
(参考写真 Bikesnbeers.com.au)
今回は主に第二次世界大戦と、ボスニア紛争地を訪ねた。
ボスニア紛争では戦車が通った跡だろうか、町や山中の小さな村などあらゆる家や建物に銃弾が撃ち込まれていて、それが普通の風景になっていた。
補修して新築のような家もあるが廃墟になっている家は更に多く、まだ戦争は終わっていないと感じる。
北西部のBihacで、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦軍隊・設立24周年(=紛争時に設立)を祝う広告、を複雑な感じで見るモンテネグロ人のドライバー。
また若いモンテネグロ人ドライバーを通して見るセルビア・クロアチア・ボスニア連邦とスルプスカ共和国・モンテネグロ間の複雑な民族感情は、バルカンの火薬庫と言われて久しいこの地域が、また簡単なきっかけでバランスを崩す可能性があるようにも思えた。
7日目(最終日)
再びポドゴリツァ(モンテネグロの首都)へ戻る。
中心地を流れるモラチャ川は透明な緑色でとても綺麗だった。
Church of the Holy Heart of Jesus を訪ねた。
1969年に建てられたカトリック教会だが、教会にしては珍しいブルータリズム建築である。
唯一 十字架で教会なのだと分かる。
ボスニアで買い物をして戻ってくるクロアチア側の人。
今回は、ボスニア⇔クロアチア国境を歩いて越えるという面白い体験も出来ました。
S様ご一行様、大変ありがとうございました。