この記事は、シリア・イラクの戦争難民、アフガニスタン・パキスタン等の経済難民に関する備忘録です。
あまり目にすることのない、セルビアの対応についても理解頂きたく記載します。
(かなり長いです!それでもまだ書き足りません。)
- バルカンルートを利用する難民の移り変わり
- 何のためにヨーロッパへ? 旅のお金はどこから?
- 『ゲーム(密入国)』の意味と方法
- 隣国の警戒・何故難民はセルビアに留まるのか?・密入国手配者
- セルビアの対応
- 施設に入りたがらない難民はどこへ? 理由は?
- 難民と近隣住民が一番困っていること
- 最後に – セルビア人の難民に対する感情/2019年追記
1.バルカンルートを利用する難民の移り変わり
2014年頃~2016年始めまで – シリア・イラク戦争難民 –
鉄道でセルビアからクロアチア、スロベニアに向かうシリア・イラクの難民
シリア内戦の激化に伴い、2015年はバルカンルートを通って西欧を目指すシリア・イラク難民(以降 シリア難民)が増加した。
シリア難民は庇護が必要な「戦争難民」と見なされ、ギリシャ-マケドニア-セルビア-クロアチア-スロベニア間の 通称 “バルカンルート”を 各国が提供するバスや列車を乗り継ぎ、オーストリア~ドイツへ移動した。
2016年3月にバルカンルートは閉鎖。バスや鉄道を使った輸送は廃止され、旅券等を持たない難民は受け入れない方針に。
2015年末~ – アフガニスタンなど中東からの難民 –
ベオグラードの市場前で衣料を売買するアフガニスタンの難民
以前からヨーロッパを目指す経済難民は存在したが、2016年に入りアフガニスタン、パキスタン等の中東からの難民が激増した。
恐らくドイツの難民受け入れ政策を聞いた人達が、ヨーロッパへ路線を変更したからだと思われる。(それ以前のアフガニスタン難民の最大受け入れ国はパキスタン)
この頃にはバルカンルートは閉鎖されていたが、実は今でもバルカンルートは『欧州への道』として密入国者が通っている。
家族連れが多かったシリア難民と比べて、若い独身男性の比率が高いのが経済難民の特徴。
経済難民は庇護対象ではないので、欧州で難民として認定される確率はかなり低い。